長崎原爆資料館 NAGASAKI 1945
博多から長崎へ早朝高速バスで朝8時半には平和公園に着いた。
1945年8月9日11時2分
ここに原子爆弾が落とされた。
その日、何も知らない市民たちはいつものように暮らしてだけなのに、、
一瞬にして世界が地獄に変わってしまったのだ。
それは計画され実行さたことでした。(普通の人たちはなんも知らない)
原子爆弾の使用については1943年、初めは日本海軍の戦艦に対して海上で検討されていたが、1944年ハイドパークで行われたルーズベルト米大統領とチャーチル英首相との会議において、原爆の仕様は日本において行われると一致。1945年4月目標検討委員会で日本の17カ所が研究対象にあげられる。東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保
資料館ではじめに目にするのは、みるみるうちに空まで湧き上がる原爆キノコ雲映像
B29から記録を撮っている人の震えが伝わってくる恐ろしいもの
さっきまでは普通に暮らしていた。草や木や山も川も何が起こったか分からず、
気がついたら地獄になっていた。半径1キロでは何が起きたかさえもなく消えた命
これを書いている今がさっきまでにだってなり得る
いまだ僕らは核兵器のある世界に生きている
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