2022.08.25 08:242009 田んぼをはじめた理由 レザーの縫製工場には2年半、パリコレクションやニューヨークコレクションの縫製の仕事ができたことに感謝しています。でもその頃の自分は何かが違うと感じていた。 縫製の仕事は服作りの工程としては出口であり、また服の出来栄えを左右する工程。職人はお金のことを言ってはいけないみたいな風潮...
2022.08.20 14:491996〜1997 アルトサックス最後の言葉は思い出せないが、寒空に浮かぶメロンみたいな月に照らされた雲が流れるのを見ていた。ぽっかり穴が開くってこうゆうことかと知った。恋はいつだって仕事や人生と分けることができない 90年代20代の僕はもう一度、ニューヨークへ行こうと思った。(高卒の春休み初めての海外旅行一人旅...
2022.08.19 15:391996「大量生産できない服」高校を出て縫製工場に就職して4年が経ち、工業用ミシンを居眠り運転してた頃、バブル崩壊とDCブランドブームの終焉とともに縫製部門が閉鎖、会社を解雇になった23歳の春父親の山仲間を頼ってアウトドアショップに雇ってもらいフリーターになった。アウトドアの服は違っていた。アメリカの開拓時代...
2022.08.17 14:34ヒマラヤの刺し子 サンさんのこと陶芸家の大泉讚さんから手紙と新作の物語が送られてきた。サンさんに出会ってから10年以上が過ぎた。自分で作る人 窯はもちろん、その煙を利用しオンドル部屋を作ったり、自宅裏山に穴を掘ってシェルター茶室を作ったり、コンポストトイレを作ったり、塀を作ったり、2011の震災以降は 種の交換...
2022.08.15 19:38ルーツ昭和13年 1938年 田んぼを開拓する岐阜県益田郡萩原町の人々 一番右が曾祖父さん 一番左の子供が今年(2022年)90歳の父 今では山側まで田んぼが広がっていますが、彼らが自力で開墾したことを知りました。100年も経っていないちょい昔の話。現代 インターネットの仮想空間を一生...
2022.08.15 18:55北方千歳町母親方の実家に墓参り 昭和40〜50年代 お盆やお正月にはたくさんの親戚の子供たち、おじさん、おばさんが集まった家は小さな商店を営んでいました。今は廃線となった北方千歳町駅近くの商店街 平成12年に91歳で亡くなった祖父は趣味で後年油絵を描いたり、焼き物をしたりしていました。河原...
2022.08.14 13:11祖父母明治28年生まれの祖父 32年生まれの祖母 大正時代の写真だろうか? 自分の親も生まれる前の写真 祖父は萩原町出身 祖母は国府町(飛騨市)インターネット記事に登場するなんて夢にも思わなかったでしょう 時代は変わりました。とゆうことは、全く想像つかない未来が存在するとゆうことなんで...